歯列矯正を希望する方の中に、過去の虫歯治療などで神経を抜いた歯(失活歯)をお持ちの方がいらっしゃいます。このような失活歯も矯正治療の対象とすることは可能ですが、神経のある健康な歯(生活歯)と比較していくつかの特有のリスクが存在し、それに対する適切な対策が求められます。まず、最も注意すべきリスクは「歯根破折」です。神経を抜いた歯は、歯の内部構造が変化し、生活歯に比べて脆くなっていることが一般的です。矯正治療では歯に持続的な力をかけて移動させるため、この力が失活歯にとって過度な負担となり、歯の根が割れてしまうリスクが高まります。特に、被せ物(クラウン)が装着されている場合や、歯質が多く失われている場合は、より慎重な力のコントロールが必要です。次いで挙げられるリスクは「歯の色調変化」です。失活歯は時間の経過とともに徐々に黒ずんでくる傾向がありますが、矯正治療による歯の移動がこの変色を助長する可能性が指摘されています。また、「根尖病変の再発・悪化」も懸念されます。根管治療が不完全であったり、見えない微細な亀裂から細菌が侵入したりすると、歯の根の先に膿の袋ができることがあります。矯正治療によって歯に力が加わることで、潜んでいた病変が活性化し、痛みや腫れを引き起こすことがあります。これらのリスクを最小限に抑えるためには、矯正治療開始前の精密な診断が不可欠です。レントゲン検査はもちろんのこと、場合によっては歯科用CTを用いて歯根の状態や周囲の骨の状態を三次元的に詳細に評価します。根管治療の質に問題がある場合や、根尖病変が疑われる場合は、矯正治療に先立って根管治療の再治療を行うことが推奨されます。また、矯正治療中は、失活歯にかかる力の強さや方向をより慎重にコントロールする必要があります。担当の矯正歯科医は、これらのリスクを十分に理解した上で、個々の患者さんの状態に合わせた最適な治療計画を立案します。治療中も定期的なレントゲン検査などで失活歯の状態を注意深くモニタリングし、異常が認められた場合には速やかに対応します。患者さん自身も、治療中に何らかの違和感や痛みを感じた場合は、すぐに歯科医師に伝えることが重要です。適切なリスク管理と対策を講じることで、神経のない歯も安全に移動させ、美しい歯並びを実現することが可能です。