「前歯のここだけ、ちょっと気になるだけだから、きっと簡単な矯正で治るはず」。そう考えて、手軽さや費用の安さを謳う情報だけを頼りに、ご自身の歯並びを「軽度」と自己判断し、安易な治療法に飛びついてしまうケースが後を絶ちません。しかし、この自己判断こそが、後に大きな後悔やトラブルを招く落とし穴となる可能性があることを、私たちは強く認識しなければなりません。歯並びの問題は、患者様が鏡で見て感じる表面的なズレや隙間、重なりといった見た目の印象だけで全てを語れるほど単純なものではありません。一見、軽微に見える前歯の不正であっても、その背後には、奥歯を含めた全体の噛み合わせの不調和や、顎の骨の大きさや位置関係のズレといった骨格的な問題、あるいは唇や舌の筋肉の機能的な問題など、より複雑な要因が潜んでいることが少なくないのです。例えば、前歯がガタガタしている「叢生(そうせい)」の原因が、実は顎が小さいために全ての歯が綺麗に並ぶためのスペースが根本的に不足しているためだとしたら、単に前歯だけを無理やり動かそうとしても、十分な審美的改善が得られないばかりか、歯が前方に突出しすぎて口元が不自然になったり、歯根が歯槽骨から露出してしまったり、あるいは無理な力がかかることで歯ぐきが下がってしまったりするリスクさえあります。また、特定の歯だけが少し出っ張っているように見える場合でも、それは上下の顎の前後的なバランスのズレが原因である可能性も考えられます。このような根本的な原因を見過ごし、表面的な問題解決だけに終始してしまうと、治療後に早期に後戻りを起こしたり、噛み合わせが不安定になって特定の歯に過度な負担がかかり、結果的にその歯の寿命を縮めてしまうことにもなりかねません。矯正歯科医は、治療を開始する前に、顔全体のバランス、顎の骨格、個々の歯の位置や傾き、歯周組織の状態、そして何よりも機能的な噛み合わせを詳細に評価するために、パノラマレントゲンやセファログラム(頭部X線規格写真)といったレントゲン撮影、歯型の模型分析、口腔内写真や顔貌写真の撮影など、多角的な精密検査を行います。これらの検査結果を総合的に分析し、初めて個々の患者様に適した治療計画を立案することができるのです。